「ヤマケン」の愛称で知られるトレラン界の第一人者 山本健一さんがスペインのグラベルアドベンチャーレース BADLANDS(バッドランズ)に挑戦。1週間で砂漠や険しい山岳を含む総距離800km・獲得標高16,000mを走る超過酷レースに挑み、格闘の末みごとに完走した。自身の手記でレースを振り返る。

バッドランズ2026 荒涼とした大地を走る山本健一(プロマウンテンアスリート) photo:Sho Fujimaki



バッドランズに挑む山本健一(プロマウンテンアスリート) photo:Sho Fujimaki
山本健一(プロマウンテンアスリート)

1979年生まれ。2019年に高校教員の職を辞しプロマウンテンアスリートに転向。クロスカントリースキーの指導者・選手としても活動する。モーグルスキーを経てトレイルランニングを始め、山岳耐久レースのハセツネCUPでは2008年に当時の日本記録で優勝。2009年のUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)で8位に。2012年にグランレイド・デ・ピレネーで優勝、国外メジャーレースの日本人初優勝を達成。グラベルレースのアンバウンド・グラベルではXLクラスで2025・26年の2度完走している。フルマークス所属。


アンバウンドを終えた僕に届いた野生への招待状

昨年6月、世界最高峰のグラベルレース「アンバウンド・グラベル」から帰国してすぐのことでした。地元の行きつけである『イエスベーグル』の店主・山崎さんから、一本のメッセージが届いたのです。
「こんなのがあるぞ。次はこれに行けし!(甲州弁で「行きなさい」の意)」

そこに添えられていたのはYouTube動画。映し出されていたのは、スペイン南部に広がる過酷な山岳地帯や、荒涼とした砂漠を突き進むサイクリストたちの姿でした。これこそが、ヨーロッパで最も過酷と称されるセルフサポートグラベルレース「BADLANDS(バッドランズ)」です。

日本人初参加を歓迎される photo:Sho Fujimaki

総距離800km・獲得標高は16,000mという気が遠くなるほどの本格山岳ルート。 しかも外部サポートは一切禁止。キャッチコピーの「THE WILDEST GRAVEL CHALLENGE IN EUROPE(ヨーロッパで最も野生的なグラベルの挑戦)」という言葉が、一瞬で僕の胸に突き刺さりました。

僕は「面白そうだ」と思ったら、すぐにやらないと気が済まない性分です。気がつけば、その場ですぐにエントリーボタンを押していました(笑)。

バッドランズには毎年数千人が殺到し、わずか300人ほどしか走ることができないという狭き門。ですが11月下旬の抽選日、運よくソロ部門のチケットを手にすることができました。当選後、主催者のデイヴィッドにメッセージを送ると、こんな嬉しい返信が届いたのです。

「君は、美しい島国・日本から参加する初めてのライダーだよ」

これには一気にテンションが上がりましたね。「これはもう、やるしかない!」と。2020年にわずか数人で始まったこのイベントが、今や世界中のグラベル乗りが憧れるプラチナレースへ。その記念すべき舞台に、日本人初として挑戦できることになったのです。

バッドランズ主催者のデイヴィッド氏は言う「孤独の中で、この圧倒的な大自然を100%体験して、独り占めしてほしい」 photo:Sho Fujimaki

泥に沈んだ愛車と、現れた新たな相棒、コナ OUROBOROS

しかし挑戦への道のりは一筋縄ではいきませんでした。5月に出場した「アンバウンド・グラベルXL」のダメージは想像以上に深く、僕の体は少し休憩を欲していました。そのため6月は山をゆっくり走ったり歩いたり、ウエイトトレーニングや室内ローラーを中心に体力をキープ。7月に入ってから、少しずつ強度を上げていきました。

実はもう一つ問題が。アンバウンドの猛烈な泥(通称:ピーナッツバター)のせいで、愛車のコナ LIBREのあちこちに泥が入り込み、ほぼ引退状態になっていたのです。そんな窮地を救ってくれたのがコナ本社でした。新たに提供してもらえることになったバイクが、水色の新鋭OUROBOROS(ウロボロス)。この新車の完成を、僕は今か今かと待つことになります。

山本健一(プロマウンテンアスリート)と愛車のコナ OUROBOROS photo:Sho Fujimaki

今回のバッドランズ仕様として、ギヤは激坂に対応するフロントシングル38T、リヤは11-51Tという超ワイドな12速のセッティング。しかも自身初となる電動コンポーネントです。おまけに、長時間のオフロード走行対策としてフロントサスペンション(借り物ですが)も搭載することに。一気に進化したメカニズムに「果たして乗りこなせるのだろうか…」と少し不安もよぎりました。

このセッティングはA&F(エイアンドエフ)バイクチームの皆さんにアドバイスいただき、組み立てはいつもメンテナンスでお世話になっているショップ、ユーキャン山梨店の店長であり、僕のトレーニングの師匠でもある高野淳さんにお願いしました。

そして新車が納車されたのは7月28日のこと。本番まで残り1ヶ月ちょっと。そこからまさに急ピッチでのグラベルトレーニングが始まりました。

フィジカルのキレは万全とは言えないまでも、ベースのスタミナはいつものレベルまで仕上がっています。あとは、どれだけこのOUROBOROSに慣れるか。事故を起こさないよう焦らず、細心の注意を払いながら山梨の山道を走り込みました。思いのほか驚くほど扱いやすいバイクで、これまで乗ったLIBRE以上に頑丈で安定感があるイメージです。

さらにバイクにはPOCのバッグ類を装着しました。エアロなトップチューブバッグにはすぐ使うハニーアクションエナジージェルやスマホやバッテリー関係、フレームバッグには修理用具の他に固形物の食料、7Lのサドルバッグにはレインウエアとエマージェンシービビイ、ダウンジャケット、アルファ米を入れました。さすがに少し重いですが、必要なものばかりです。これらのバッグは防水、コンパクトで揺れにくくとても使いやすいです。頼れる新しい相棒と共に、未知なるスペインの荒野へ。僕の心は静かに燃え始めていました。

45℃の洗礼 オリーブの街グラナダへ

あっという間に8月25日、出発の時がやってきました。向かうのはスペイン南部アンダルシア地方の古都グラナダ。カタール航空の快適なフライトを乗り継ぎ、旅を進めます。途中12時間のトランジットがあったドーハでは、昼間の気温がなんと湿度高めの45℃!空港の外に出た瞬間に眼鏡が曇ります(笑)。 あまりの熱気に驚きつつ、直前に予約した安いホテルでシャワーを浴びて仮眠を取り、体力を温存しました。

日本から持ち込んだ米を炊いて主食とする photo:Sho Fujimaki
レースに備えてテーピングを念入りに行う photo:Sho Fujimaki



夜には無事にマドリードへ到着です。今回の心強い旅の仲間たちは、一人は生活全般を支えてくれる「ベスパ齋藤」さん。海の男ということもあって作ってくれる料理が本当に絶品で、少しコワモテな見た目とは裏腹(笑)に、とても優しく安心させてくれる存在です。

もう一人は古くからの仲間であるカメラマンの藤巻翔君。選手目線で驚くほど気が利く男ですが、常に全力で働いているため、気がつくとソファーで寝落ちているのがお決まりの愛すべき相棒です。藤巻君とは移動後の軽い運動として、朝起きてすぐに近くの公園をランニング。途中で雨が降ってきて20分ほどで切り上げましたが、少し汗をかくことで長旅の体の重さをリセットすることができました。

車を走らせて到着したグラナダは、かつてイスラム王朝の首都として栄えた歴史ある街。丘の上にはあの世界遺産・アルハンブラ宮殿がそびえ立ち、街のシンボルである「ザクロ(グラナダ)」の彫刻があちこちに見られます。ジェラート屋さんでもメニューには「ザクロ」ではなく「グラナダ」と表記されているのがおしゃれです。

レースまでの数日間は、中心部から少し離れたアパートで自炊生活。日本から持参したお米12合、サバやサンマの缶詰、高野豆腐、はちみつ、うどん、味噌などを駆使します。遠征時の荷物はいつも重くなりますが、試合前こそ日本にいるときと同じ食事をして、心身のバランスを保つのが僕のこだわりです。

「自分の力だけで完走せよ」野生の旅がいよいよ開幕

総距離800km・獲得標高16,000mに向けて気合を入れる photo:Sho Fujimaki

8月30日午前8時。街の広場には約300名のソロライダーとペアライダーが集結しました。ノリの良い音楽が響き渡り、会場のボルテージは最高潮です。

前日のブリーフィングで、主催者のデイヴィッドはこう言いました。「このレースは100%自分の力だけで完走してください」。

人と一緒に走って楽をすることは許されません。撮影クルーにも「極力インタビューはしないように」と指示が出され、選手同士が一定時間近くにいるとGPSで検知されペナルティが課される徹底ぶりです。「孤独の中で、この圧倒的な大自然を100%体験して、独り占めしてほしい」という、主催者の強いメッセージが込められていました。

バッドランズの長い道のりに向けて出発 photo:Sho Fujimaki

唯一の日本人ライダーだった僕は、スタート直後から色々な国の選手に話しかけられました。「日本にサイクリングに行く予定があるんだ」という人に自転車以外に何が楽しみか聞いてみると、一番多かった答えは「日本の物価が安くて美味しいものがたくさん食べられるから」(笑)。確かにグラナダの物価もヨーロッパの中では安めでしたが、今の日本食のコスパは世界中から注目されているようです。

しばらくすると、選手間はばらけ始め、孤独が始まるのでした。

激坂、熱中症。後ろで見た「ロングトレイルの女王」の技術

荒涼とした大地を走るバッドランズの典型的な風景 photo:Sho Fujimaki

コースがロードからグラベルに切り替わると、あまりにも砂が軽すぎて、前が見えないほどの凄まじい砂ぼこりに襲われました。口呼吸すらできない苦しさに耐えながら、序盤の険しい急坂を登っていきます。

路面には小石が浮いていてグリップが効かず、コーナーのたびに極限の集中力を求められます。昼を過ぎると気温はグングン上昇し、ハイドレーションの水もすっかりお湯に。喉の渇きが限界に達した70km地点、砂漠の手前の集落で待望の湧水を見つけました。

「冷たい水が飲める!」と誰もがピットインし、僕も水筒を満たします。しかし、手に触れたその水は……まさかのアツアツのお湯(笑)。期待を大きく裏切られながらも、背に腹は代えられないので満水にして先を急ぎます。

ここで思わぬ出会いがありました。なんと世界的なロングトレイルの女王、スベニャ・ベッツさんがすぐ近くを走っていたのです。チャンスとばかりに激坂で彼女の後ろにつき、そのペダリングを観察しました。立ちこぎで全身の体重をすべてペダルに乗せ、決してスピードは速くないのに、まったく脚を使わない効率的な登り方。この激坂テクニックは、その後の僕を大きく救ってくれることになります。

荒涼とした大地を行く山本健一 photo:Sho Fujimaki

120km地点のゴラフェの街を経て、いよいよ1つ目の難所「ゴラフェ砂漠」へ突入します。何百万年もの地殻変動がつくった圧倒的な奇岩地帯。事前の試走時は涼しかったのですが、この日の気温は驚異の44℃。地元の甲府盆地でも経験したことのない未知の熱風です。

汗は噴き出た瞬間に乾き、熱が体内にこもるような妙な感覚に陥りました。飲む水もお湯。体に吸収されても一向に体温は下がらず、ついに頭痛という熱中症のサインが出始めます。
「やばいな……」と思いながら漕ぎ進め、午後3時頃、ヴィラヌエバ・トレスという街に出てそこで見つけたバーで、アクエリアス5缶とファンタレモンを一気飲み! デイヴィッドが「必ず寄れ」と言っていた理由がよくわかりました。

激しい寒暖差と、睡魔

沿道の住民たちの声援を受け、気持ちが入る photo:Sho Fujimaki

生き返ったのも束の間、夕方6時頃には時差ボケからか猛烈な睡魔が襲ってきました。コース脇の大きな木の下で100%の脱力状態で10分ほど横になります。
夜9時に日が沈むと、なぜか気持ち悪さがぶり返し、これまでの過酷なトレイルレースでも一度しか経験のなかった「嘔吐」にまで至ってしまいます。

グラベルを疾走する山本健一 photo:Sho Fujimaki

ペースを落として必死に登り切った標高2,168mのカラ・アルト天文台。そこの気温はまさかの9℃でした。数時間前まで44℃の灼熱にいたのに、今は一桁台の極寒。寒さと眠さに耐えかねて道端で10分仮眠しましたが、寒さですぐに目が覚めました。普通なら心が折れそうな状況ですが、不思議と僕の心はワクワクしていました。

「おもしろい!さあ、次はどうなる? どうやってこれをクリアしてやろうか!」と、逆境を楽しむスイッチが入っていたのです。

コース途上のストアで水や食料を補給する photo:Sho Fujimaki

朝を迎える頃には山岳を抜け、2つ目の砂漠「タベルナス」へ。こちらも圧倒的な景色です。ミニグランドキャニオンの中を走っている感じです。そこを出ると、街へ長い長い気持ち良いグラベルの下りが続きます。朝の涼しい空気のなか、街のバーに到着。もらった氷をハイドレーションに詰め込むと、背中がキン!と冷えて最高に気持ちよかったです。

砂浜のビーチがコースに。たまらず押しに入る photo:Sho Fujimaki

そして、ついに目の前に広がったのは、真っ青な地中海! 砂漠を乗り越えた先に見える海の美しさは格別で、これまでの疲労もすべて吹き飛びました。時には自転車を押して砂浜を進みながら、最高の海岸線を駆け抜けます。

二晩目の限界突破、そして感動のフィニッシュへ

しかし、後半戦は「お尻の激痛」との戦いになりました。腰も痛いですが、何よりお尻が痛い。残り300km、耐えられるのか...。

アルメリアの街の手前では、優雅にバカンスを楽しむ人々の横を、埃まみれのサイクリストたちが全力で爆走していくというシュールで面白い光景を駆け抜けました。街外れの24時間ショップでアイスとスプライトと水を補給し、いよいよ2回目の夜、最後の4つの峠へと挑みます。

風力発電機の建ち並ぶ平原を行く photo:Sho Fujimaki

1000m級のアップダウンが続く二晩目は、まさに極限状態でした。下り坂に入っても眠気は飛びません。まばたきをするたびに景色が5メートルほどワープしていることに気づき、「一瞬寝ている!」とヒヤリ。危険を察知して道端に倒れ込み、30分ほど泥のように眠りました。この短い仮眠のおかげで頭がすっきりと冴え渡り、レインウェアを着込んで極寒の山を越えていきます。

トータルの睡眠時間はわずか90分ほど。他のライダーたちが街のベンチでエマージェンシービビィにくるまって寝ていたり、当日の宿泊施設を確保して進むなか、僕は一気に突き進む道を選びました。

スタートから40時間が経った頃、距離にして約600km地点で電動シフトのバッテリーを交換。この頃になると体は完全に「省エネモード」に入り、1時間にわずか150kcalほどの補給でも不思議と足が動いていました。

今回のレースで痛感したのは自分の平坦の遅さです。登りではまずまず走ることができるつもりなのに、平坦になるとエアロポジションをとった彼らに大人と子供くらい圧倒的なスピードの差で置いていかれるのです。でも、これは嬉しい発見。「まだまだ自分には伸びしろがあるぞ」と、これからの練習が楽しみに思えてきました。

4つの山をクリアし、再び暑さが戻ってきたコース終盤。行きと同じ道を一部トレースします。見覚えのある景色の中、最後の最後、ゴール手前10kmで現れたのは壁のような300mの一気登りでした。
「ここでこれを持ってくるか!」と、美しすぎるコースレイアウトに苦笑いしつつ、オリーブ畑を抜ける最高のシングルトラックの下り坂へ。テンションが上がりすぎてブラインドコーナーの先の溝にハマり、派手に落車して肘と膝を擦りむくハプニングもありましたが、それすらも愛おしい旅の思い出です。

フィニッシュ。喜びよりも安堵感が湧き上がってくる photo:Sho Fujimaki

そして、スタートから55時間18分(2日と7時間)、デイヴィッドやスタッフが待つ、アルハンブラ宮殿の真下の噴水広場へ、ゆっくりと滑り込みました。

総合順位は30位。目標は60時間くらいじゃないかと思っていたので、半日くらい早かった。ゴールした瞬間、湧き上がってきたのは歓喜よりも、「無事に帰ってこられて本当によかった」という深い安堵感でした。

100%自分のために走るということ

このレースには閉会式がありません。1位の選手から最終走者まで、全員が全く同じ完走メダルを受け取ります。それは、「誰かに勝つためではなく、100%自分のために走る」という主催者の哲学の現れです。どれだけ時間がかかっても、自分の力で走り切ったなら、その価値は等しく素晴らしい。手渡されたメダルは、ずっしりと重く、誇らしいものでした。

レース中、選手同士の会話はほとんどありません。チェックポイントのバーでも、みんな物静かに自分の世界に集中していました。おしゃべりが好きな僕ですが、「あ、自分、無言でもいけるんだな」と、また一つレベルが上がった気がします(笑)。その反面、レースが終わった瞬間に、各国のライダーたちはしゃべりだし、熱く語り合えた時間も最高の宝物です。

バッドランズを走りきった相棒コナ OUROBOROS photo:Sho Fujimaki

帰国して2ヶ月が経ちますが、いまだに手足の指のしびれが取れません。肉体へのダメージは想像以上で、僕の心もまだグラナダの熱から冷めきっていないようです。

「次はどの国で、どんな景色、人に出会えるだろう?」

そんな未来へのワクワクを胸に、僕の挑戦はこれからも続きます。素晴らしい経験をさせてくれたスペインの地に、心からの感謝を込めて。
                          
text:山本健一
photo:藤巻 翔
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