熱波の赤色警報によって30.9km短縮された9日目。酷暑に苦しんだプロトン屈指の人気者、ファンデルプールが約98kmの逃げを勝利につなげた。エアコンのないプレスセンターから、猛暑に覆われた1週目最終日を振り返る。
プロトンで1、2位を争う人気者であり、ロードレース界を代表するスーパースターが、ツール・ド・フランス2026年の1週目を勝利で締めくくった。

この日、逃げを打ったマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・プレミアテック)がチームプレゼンに向かう photo:Sotaro.Arakawa
前々日と前日はフィリプセンのリードアウトを務め、この日は自ら勝利を狙ったマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・プレミアテック)。レース開始からアタックを繰り返し、16名の逃げに入った。
そこからフィニッシュまで約98km。3つの山岳を含むアップダウンと向かい風のなか進み、残り24.5kmでアタック。独走には持ち込めなかったものの、この動きによって先頭をトーマス・ピドコック(イギリス、ピナレロQ36.5プロサイクリングチーム)ら4名に絞り込んだ。プロトンはリドル・トレックやネットカンパニー・イネオスが先導。しかし6秒差で振り切り、先頭を譲らないままスプリントを開始し、ヨハネセンとピドコックを退けて勝利した。
「厳しい1日だった。向かい風で、逃げにとってはひどいコースだったし、集団からのプレッシャーも大きかった。逃げを生かすために多くの力を使ったが、最後までやり遂げられて嬉しい」と語るファンデルプール。ようやく掴んだ勝利だった。
ファンデルプールは第7ステージを前に、「ピーダスンが勝った第4ステージは、自分にもチャンスがあった。だが単純に、そのための脚がなかった」と不調を認めている。本人によれば、比較的楽なステージを終えた後でさえ、身体を回復させることが難しかったという。
ただ、第7、8ステージではフィリプセンのリードアウトを務めるまでに動きが戻った。そしてこの日、「ようやく勝負に行ける脚があった」と自らのために逃げを敢行した。

セクサスの登場でパドックには多くの人が集まり、チームプレゼンでは大歓声が飛ぶデカトロンCMA CGM photo:Sotaro.Arakawa

タッチパネル式の出走サイン photo:Sotaro.Arakawa 
チームプレゼン終了直後の選手たちを、ミックスゾーンへと誘うボード photo:Sotaro.Arakawa

前日のスプリントが振るわなかったヤスペル・フィリプセン(ベルギー、アルペシン・プレミアテック) photo:Sotaro.Arakawa
意外なのは、これがファンデルプールにとってツール通算3勝目でしかないということだ。
最初は初出場だった2021年の第2ステージ。3級山岳ミュール・ド・ブルターニュを2度登るコースで、2度のアタックから独走勝利。ステージ優勝だけではなく、祖父レイモン・プリドールが一度も着ることのできなかったマイヨジョーヌに、初出場のツールで袖を通した。
2勝目はそれから4年後の2025年だった。開幕ステージではフィリプセンをリードアウトし、勝利とマイヨジョーヌ獲得に貢献。そして翌日、タデイ・ポガチャルやヨナス・ヴィンゲゴーを丘陵スプリントで退け、チームメイトからリーダージャージを受け継いだ。
そして3勝目となった今回は、マイヨジョーヌの獲得はなし。それでも不調を吹き飛ばし、プロトン屈指のスターが「ようやく」本来の存在感を取り戻した。

4名の勝負を制したマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・プレミアテック) photo:A.S.O.

フィニッシュ直後のインタビューに応じるマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・プレミアテック) photo:A.S.O.
この日、マチューの復調と同じく、現地で「ようやく」と思われたのが、コースの短縮だった。
取材する側から見ても、それほど開幕から連日、スタート地点もフィニッシュ地点も、そしてコース途中も暑かった。この日のレキップ紙に記された天気予報は1日を通して晴天。レース時間帯の予想気温は36〜39℃だった。
ジェイコ・アルウラーの一員としてツールに帯同する宮島正典マッサーによれば、レース主催者A.S.O.から各チームに支給される氷だけでは足りず、そのため各チームは自前で大量の氷を調達し、宿泊先のホテルに届けてもらうよう手配しているのだと言う。
第7、8ステージで2連勝を飾ったティム・メルリールも、レース後に細かなミスが続く理由について「ツールのレーススピードが速いせいなのか、それとも暑さのせいなのか」と話していた。
A.S.O.がコース短縮を決める直接のきっかけとなったのは、フランス気象局「メテオ・フランス」がコレーズ県に熱波の赤色警報を出したことだった。予想最高気温はスタート地点のマルモーで38〜39℃、フィニッシュ地点のウッセルで34〜36℃。コース周辺では41℃に達する可能性もあった。
当初185.5kmだった第9ステージは最終的に154.6kmへと変更され、短縮されたのは30.9km。酷暑を直接の理由としてツールのステージ距離が削られたのは、大会史上初めてのこと。その狙いは選手たちを少しでも早く標高の高い地域へ移動させ、暑さへの曝露時間を減らすことだった。とはいえ、高台に上がっても気温は35℃近い。選手たちは直射日光だけでなく、アスファルトからの照り返しも受け続ける。
ツール・ド・フランスの大会ディレクターであるクリスティアン・プリュドム氏は、今回の決定について、選手側から直接の要請があったわけではないと説明。コレーズ県側とA.S.O.が協議を重ねた結果であり、決定を伝えられた選手たちからは「ありがとう」というメッセージも届いたという。
ちなみに、この原稿を書いているのは、ウッセルのフィニッシュ地点から約900m離れたプレスセンターだ。当日の朝、メディア向けのメッセージで知らされた通り、ここにはエアコンがない。あるのはA.S.O.が用意した扇風機だけ。乾燥しているため、日差しを遮れば多少はしのげるが、暑いことに変わりはない。

フィニッシュ直前でワクワクしていたが、次の瞬間中継が切れた photo:Sotaro.Arakawa

フィニッシュラインが引かれたのは、ウッセルの中心地 photo:Sotaro.Arakawa 
塀の上に立ち、選手たちの到着を待つ photo:Sotaro.Arakawa

フィニッシュ直後、バイクを置いて徒歩で報道陣の前に現れたトーマス・ピドコック(イギリス、ピナレロQ36.5プロサイクリング) photo:Sotaro.Arakawa
レース後の記者会見でも、これまでと同じように暑さについての質問が飛んだ。興味深かったのはポガチャルへの質問だった。
「これだけ連日暑いのであれば、ツールの開催時期を前倒しすることも考えなければならないと思う。あなたはどう考えているか」。するとポガチャルは「僕が答えるには大きすぎる問題だ」と前置きしながらも、こう答えた。
「もし僕にその力があれば、喜んでレースカレンダーをすべて変えるだろう。そして暑い地域では、7月と8月にレースを走らないようにする」。
スタート地点のヴィラージュで受け取ったレキップ紙には、「猛暑の請求書は後から届く」という趣旨の小見出しが載っていた。すでに選手たちは、UAEチームエミレーツXRGが作り出すハイペースと、めったに35℃を下回らない異常な暑さに脚を削られている。その代償はその日のうちではなく2週目、3週目になって現れるという。
ファンデルプールは一足早く、暑さに負けず、脚の動く感覚を取り戻した。だが、他の選手たちが1週目に受け取った猛暑の請求書が、いつ、そしてどれほどの金額で届くのかは分からない。
長いツール1週目が終わった。選手たちはまず、最初の休息日を迎える。
text:Sotaro.Arakawa in Naves, France
photo:A.S.O.
プロトンで1、2位を争う人気者であり、ロードレース界を代表するスーパースターが、ツール・ド・フランス2026年の1週目を勝利で締めくくった。

前々日と前日はフィリプセンのリードアウトを務め、この日は自ら勝利を狙ったマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・プレミアテック)。レース開始からアタックを繰り返し、16名の逃げに入った。
そこからフィニッシュまで約98km。3つの山岳を含むアップダウンと向かい風のなか進み、残り24.5kmでアタック。独走には持ち込めなかったものの、この動きによって先頭をトーマス・ピドコック(イギリス、ピナレロQ36.5プロサイクリングチーム)ら4名に絞り込んだ。プロトンはリドル・トレックやネットカンパニー・イネオスが先導。しかし6秒差で振り切り、先頭を譲らないままスプリントを開始し、ヨハネセンとピドコックを退けて勝利した。
「厳しい1日だった。向かい風で、逃げにとってはひどいコースだったし、集団からのプレッシャーも大きかった。逃げを生かすために多くの力を使ったが、最後までやり遂げられて嬉しい」と語るファンデルプール。ようやく掴んだ勝利だった。
ファンデルプールは第7ステージを前に、「ピーダスンが勝った第4ステージは、自分にもチャンスがあった。だが単純に、そのための脚がなかった」と不調を認めている。本人によれば、比較的楽なステージを終えた後でさえ、身体を回復させることが難しかったという。
ただ、第7、8ステージではフィリプセンのリードアウトを務めるまでに動きが戻った。そしてこの日、「ようやく勝負に行ける脚があった」と自らのために逃げを敢行した。




意外なのは、これがファンデルプールにとってツール通算3勝目でしかないということだ。
最初は初出場だった2021年の第2ステージ。3級山岳ミュール・ド・ブルターニュを2度登るコースで、2度のアタックから独走勝利。ステージ優勝だけではなく、祖父レイモン・プリドールが一度も着ることのできなかったマイヨジョーヌに、初出場のツールで袖を通した。
2勝目はそれから4年後の2025年だった。開幕ステージではフィリプセンをリードアウトし、勝利とマイヨジョーヌ獲得に貢献。そして翌日、タデイ・ポガチャルやヨナス・ヴィンゲゴーを丘陵スプリントで退け、チームメイトからリーダージャージを受け継いだ。
そして3勝目となった今回は、マイヨジョーヌの獲得はなし。それでも不調を吹き飛ばし、プロトン屈指のスターが「ようやく」本来の存在感を取り戻した。


この日、マチューの復調と同じく、現地で「ようやく」と思われたのが、コースの短縮だった。
取材する側から見ても、それほど開幕から連日、スタート地点もフィニッシュ地点も、そしてコース途中も暑かった。この日のレキップ紙に記された天気予報は1日を通して晴天。レース時間帯の予想気温は36〜39℃だった。
ジェイコ・アルウラーの一員としてツールに帯同する宮島正典マッサーによれば、レース主催者A.S.O.から各チームに支給される氷だけでは足りず、そのため各チームは自前で大量の氷を調達し、宿泊先のホテルに届けてもらうよう手配しているのだと言う。
第7、8ステージで2連勝を飾ったティム・メルリールも、レース後に細かなミスが続く理由について「ツールのレーススピードが速いせいなのか、それとも暑さのせいなのか」と話していた。
A.S.O.がコース短縮を決める直接のきっかけとなったのは、フランス気象局「メテオ・フランス」がコレーズ県に熱波の赤色警報を出したことだった。予想最高気温はスタート地点のマルモーで38〜39℃、フィニッシュ地点のウッセルで34〜36℃。コース周辺では41℃に達する可能性もあった。
当初185.5kmだった第9ステージは最終的に154.6kmへと変更され、短縮されたのは30.9km。酷暑を直接の理由としてツールのステージ距離が削られたのは、大会史上初めてのこと。その狙いは選手たちを少しでも早く標高の高い地域へ移動させ、暑さへの曝露時間を減らすことだった。とはいえ、高台に上がっても気温は35℃近い。選手たちは直射日光だけでなく、アスファルトからの照り返しも受け続ける。
ツール・ド・フランスの大会ディレクターであるクリスティアン・プリュドム氏は、今回の決定について、選手側から直接の要請があったわけではないと説明。コレーズ県側とA.S.O.が協議を重ねた結果であり、決定を伝えられた選手たちからは「ありがとう」というメッセージも届いたという。
ちなみに、この原稿を書いているのは、ウッセルのフィニッシュ地点から約900m離れたプレスセンターだ。当日の朝、メディア向けのメッセージで知らされた通り、ここにはエアコンがない。あるのはA.S.O.が用意した扇風機だけ。乾燥しているため、日差しを遮れば多少はしのげるが、暑いことに変わりはない。




レース後の記者会見でも、これまでと同じように暑さについての質問が飛んだ。興味深かったのはポガチャルへの質問だった。
「これだけ連日暑いのであれば、ツールの開催時期を前倒しすることも考えなければならないと思う。あなたはどう考えているか」。するとポガチャルは「僕が答えるには大きすぎる問題だ」と前置きしながらも、こう答えた。
「もし僕にその力があれば、喜んでレースカレンダーをすべて変えるだろう。そして暑い地域では、7月と8月にレースを走らないようにする」。
スタート地点のヴィラージュで受け取ったレキップ紙には、「猛暑の請求書は後から届く」という趣旨の小見出しが載っていた。すでに選手たちは、UAEチームエミレーツXRGが作り出すハイペースと、めったに35℃を下回らない異常な暑さに脚を削られている。その代償はその日のうちではなく2週目、3週目になって現れるという。
ファンデルプールは一足早く、暑さに負けず、脚の動く感覚を取り戻した。だが、他の選手たちが1週目に受け取った猛暑の請求書が、いつ、そしてどれほどの金額で届くのかは分からない。
長いツール1週目が終わった。選手たちはまず、最初の休息日を迎える。
text:Sotaro.Arakawa in Naves, France
photo:A.S.O.
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