長距離ブルベ「ロンドン〜エディンバラ〜ロンドン」に参戦した三船雅彦さんによる実走レポート。イギリスの首都ロンドンとスコットランドのエディンバラを結ぶ約1,500kmの往復コースを走るランドネは大型台風の直撃を受けて途上で中止に。それでも行程を走った記録だ。

今回サポータークラブメンバーの福田くんとホテルをシェアし、一緒にスタートした
前回の2022年大会(レポート記事)に続き、今回で3回の出場となるイギリスのブルべ「ロンドン〜エディンバラ〜ロンドン」(以下LEL)に参加してきました。

大会前日 バイクの最終チェック LELはヨーロッパではフランスのパリ〜ブレスト〜パリ(PBP)、イタリアのミッレミリア・イタリア(ミッレ)と並んで「三大ブルベ」とも称されています。1989年から4年ごとに開催されており、英国で最も過酷なサイクリングイベントの一つと評されています。PBPほどの規模ではないにしろ、世界中からたくさんの参加者がやってきます。今回も約2,000人ほどが参加しました。
過去2回出場した時はロンドンの北側の郊外をスタートする感じでしたが、今回はロンドン北東の小さな街ライトルがスタート。
大会は8月3日から。過去2回は4日ほど前にはイギリスに入り、時差ボケ対策をしましたが、今回は1日の夕方に現地入り。つまりスタート1日半前と言う強行スケジュール。ここまでの飛行機も南回りでトランジット12時間待ち。航空チケットも高騰し、予算的には厳しい・・・。次に生まれ変わるならば貴族の家に生まれたい...。ああ、いまからでも貴族のもとへ養子にいきたい...。

色分けされたバッグドロップは各地点へと送られる 
コントロールでの様々なサイン
今回、私の関東サポータークラブのメンバーである福田君が参加することになり、ホテルの部屋をシェアすることに。今回の遠征では福田君がホテルの手配や空港からホテルへのアクセスなど、すごく助けてくれた。彼は「海外ブルべは初参加」とのことだったが、絶対イギリスに住んでいただろ!というぐらい詳しく、僕は今まで何度も海外ブルべに参加し、長年ヨーロッパで暮らしていたのに、彼の方が知識多いやん!ってレベル。福田君は本当は貴族か、もしかしたら王族かもしれない…と思うほどに頼りになり、助かりました。
前日にはスタート地点で受付と途中のコントロールポイントへ前もって荷物を預けるバッグドロップの荷物を預ける。日本では「ドロップバッグ」と言うが、海外では「バッグドロップ」と言わないと通用しない(笑)。

サドルバッグの中身 防寒装備やすぐに取り出さなくてよいものをサドルバッグに入れておいた 
フレームバッグの中身 すぐに取り出す必要のあるもの。そしてコントロールへボトル給水などのため、簡易的な袋があると非常に楽だった
最大2カ所でのバッグドロップが可能で、主催者から専用の袋が渡される。私は今回折り返しとなるダルケース(800km地点)と467km/1066kmとなるリッチモンドの2カ所へ。作戦としてはダルキースまでは基本ノンストップで走行し、そこでシャワーをして着替えて仮眠。そしてここでモバイルバッテリーの入れ替え、ライトや変速機のバッテリー交換予定で、予備のバッテリーを入れておいた。後半は確実にスピードは低下すること、そして念のためフィニッシュまで使えるようモバイルバッテリーをバッグドロップに。
今回大会主催者からコントロールでの充電は禁止のお達し。どうやら前回大会で充電による出火騒ぎがあったらしい。確かにコンセントごとにおぞましいほどのGPSや携帯電話が繋がれていて、もうビジュアル的にも危険だった覚えがある...。
そのため今回、主催者がレンタルバッテリーを提供してくれた。これはコントロールごとに減ったバッテリーを交換してくれるので、申し込みが殺到した。しかし確実に充電したものがもらえるのかはサービス初年度でわからなかったので、今回は自身で用意した。
使用したのはエレコムのNESTOUTアウトドアバッテリーだ。耐衝撃で防水、端子の部分に蓋がついており、水中に落としても問題ない。今回はスタート時に10000mAhを2個携行した。加えてバッグドロップではダルケースに1個、そしてリッチモンドに1個という配置だ。
キャットアイVOLT800NEOのライトを2灯に、予備バッテリーを1個携行し、モバイルバッテリーにもなるバッテリー充電クレドールを持参。これは後に非常に大きな意味をもつこととなった。現在のブルべでは、何よりもスマホやGPS、そしてライトの電池が重要。昔はただ走るだけだったのに、まるで現代と石器時代の違いのようだ。

スタート地点のロンドン。朝4時から順番にウェーブスタートで出ていく
スタート時間は朝10時。ゼッケンの頭にアルファベットがあるが、朝4時から順番にウェーブスタートで出ていくのだが、私は「Y」。前回はYよりさらに後ろ、ZのあとはAA、AB、AC、となったが、ADでスタートすることに。
折り返してしばらくするとAかBのみとなり、間のカテゴリーはすべて突き抜けた。コントロールでの食事などを考えると、さっさと突き抜けてしまったほうが後で楽だ。参加者は約2,000人。300kmを越えるぐらいまではコントロールは混雑しているはずだ。

元気な様子を見せる日本人参加者たち
スタート当日は昨日と変わらない朝食を摂る。可能であれば何もスタイルを変えずに朝食、着替えてスタート、というのが理想だ。
10時、快晴の空のもとスタート。みんな最初のコントロールまでは協力して目指していくのでアベレージスピードは速め。平均時速25キロを超えるペースで最初のコントロールへ。ここで福田君とはぐれる。
このコントロールの直前に道路工事区間があり、先頭付近にいた福田君たちはそのまま直進。後方にいたメンバーは、もしかすると自転車も通行止めかもしれないし、迂回路の看板を見つけたので、そちらをフォローしたほうが良さそうだ、となった。ここで5分ほどの差が出来たようだ。

それぞれのスタイルで走る参加者たち
彼の方が先に到着したのだが、チェックを受けた後、走り始めずに食事をしていたらしい。僕はコントロールのレストランが渋滞していたのでバナナとパンだけ受け取ってそのままスタートした。ここですれ違ったようだ。
ここからは単独もしくは他の参加者と一緒に走行を開始した。まず初日はモルトン(373km)まで行きたい。前回出場したときもモルトンで、スタートが3時間遅くてほぼ同じペースだったので睡魔との戦いだったが、今回はトラブルがなければいけるはずだ。

ボストンのコントロールではあまりレストランは混んでいなかった
2つめのコントロールはボストン。17時02分到着。軽く食事をして先に進む。3つ目のコントロールのルースは混雑すると判断、19時48分に到着。4つめのヘッスルに何時に到着するかでモルトンまで気持ちよく進めるか、はたまた睡魔で苦しむのかが分かる。

列をなして橋を渡る参加者たち
ルースからヘッスルまでに日は沈んでいく。ヘッスルの直前にハンバーブリッジがあるが、今回含めて往路では一度も明るい時間に到達したことがない。今回は「もしや?」と期待したが、やはりダメで、ヘッスルには22時14分到着。前回は日を跨いで0時半だったので気持ち的に楽だ。

延々と同じような風景が続く
ちなみに前回モルトンまで70km弱を3時間半だった。後半の20kmは睡魔でまっすぐ走るのにも苦しんでいたが、今回はヘッスルで夕食をして頭をリフレッシュしてから走り、2時には到着。ヘッスルを出発したのが23時は過ぎていたと思うので、3時間かからずに到着した。

夕暮れの街を走る参加者たち
ここでも夜食?をいただき、テーブルに突っ伏して休憩。もし寝落ちすればそれでも良し、しなければ先へ進むという感じ。まだ本当に眠くはない。

日が暮れてきたなかコントロールに到着
そしてスタートしてからは比較的平坦と言えるパートの最後のコントロールであるリッチモンドに到着したのは朝8時。楽しみにしていた朝食タイムだ。
朝の5時頃から10時ごろまでレストランは朝食メニューとなる。はっきり言うとレストランの食事は美味しいというレベルになく、すでに前半で食べるという行為に疲れてくるのだが、朝食メニューは比較的まだ美味しい。
ハッシュポテトやベーコン、オムレツやスクランブルエッグなどの卵、クロワッサンやデニッシュなども選べる。可能であればコントロールの食事はずっと朝食メニューでもいいぐらいだ。

コントロールでの朝食は美味しかった
■大型台風フローリスの襲来

大会公式メールも台風フローリスを警告する 
ルート上を台風が直撃する予想だ
リッチモンドでは長居をしないように心がけた。ちょうどイギリスに到着した時のタイミングで嵐が発生したそう。「フローリス」という名がついた超大型の嵐で、日本で言うところの台風だ。この2日目から3日目にかけて、どうもルート上を通過するらしい。

内陸部はアップダウンが連続する
リッチモンドまでは嵐と言われてもピンと来なかったが、北上してこの先にある登り「ヤド・モス」が近づき始めると、今まで嵐なんて嘘でしょ?と思っていたが、ここまでとは別世界。急に風が強まり、向かい風では時速20キロがほど遠いスピードへと低下していく。

風が強くなってきた
次のブランプトンのコントロールへは110kmほど。今大会の区間最長距離だ。登りがあっての最長距離ということは、時間軸で見ると一番手こずる区間であることは間違いない。
ヤドモスの登りは10㎞ほど。それほど勾配はないのだが、風は吹き下ろしで3%ほどの勾配でもスピードは一桁。とにかく漕がないと前には進まない。ゆっくりでも進むことを選択した。

ヤドモスに差し掛かると、嵐だった
この辺りの地形は風や水の浸食で出来たからか、場所によっては風が加速するように吹き抜ける。天気予報では瞬間最大風速100キロほど(ヨーロッパでは時速がポピュラー)。そんな強風をまともに食らったら飛んでいきそうだが、まさにヤドモスの登りはオープンエリアで飛んでいきそうだ。

あまりの強風にトラックが横転していた 前を走る参加者たちは次々に走行を断念して木や建物の影に身を潜めたり、徒歩で進む者も。しかし徒歩だと自転車に体重が乗らないので、風で自転車が持って行かれ、頂上付近で歩いていた参加者は反対車線の向こうまで飛ばされていた。
「これは絶対乗車したほうが安全なやつ!」と判断し、乗車でクリア。時折爆風というか風の塊のようなものが飛んできて、身体ごと吹っ飛びそうになる。
下りはもっと悲惨で、2回ほど谷底に落ちかけた。今回ホイールはカンパニョーロ・ボーラの33mmハイトだったが、50mmだったら落ちていたかもしれない。
下り切ると、ハンドルを強く握っていたからか手のひらが真っ青。下り切った町の外れにあるポップアップカフェで休息することに。

私設のカフェが参加者たちを助けてくれた
■告げられたストップ。「大会はここで中止」
今回はコントロール以外での飲食は基本有料だが、大会に協力をしてくれているポップアップカフェが何カ所か設置されていた。学校施設でボランティアの人たちが飲食物を提供してくれているところもあれば、明らかにカフェだが大会公式として協力をしてくれているカフェも。
今回利用したのは農家をリフォームしたような、多分常設のカフェで、他のお客さんも入っていた。日本のイメージで言うと「古民家カフェ」だろうか。
風で身体が冷えたので、ここでカプチーノとエッグタルトをオーダー。ここまで来た選ばれしランドヌールたちは、なぜか皆カプチーノを注文していたのは、やはり寒かったのだろう。少し長居をして気持ちをリセットした。

コントロールの食事会場になった体育館
そしてブランプトンへは15時半に到着したが、ここからの70km、また爆風で苦しむことを考えるとしっかり食べたほうがいいかも、と遅い昼食(早い夕食)?を摂ることに。
そして走り出そうとすると「本部から連絡があり、ここで待機をするように」と告げられた。どうやらこの先は暴風域とのこと。

「大会はここで中止」そう告げられると拍手がおきた
そして19時頃、参加者は全員レストランに集められ、「大会はここで中止」と告げられる。
スタッフの、言葉を選んで少しブリティッシュなスパイスの効いたニュアンスでのアナウンスが…まったく意味が分からず、喋っていた人に「英語がわからないから完全に説明してくれ」と言ったら、「要は中止だ」とのことだった。

中止を伝える掲示板
そして朝まで暴風域に突入するので(いや、とっくに入っていると思うが)朝までは屋外に出ないように、とのお達し。

多くの参加者が到達しなかったコントロールの仮眠ベッド
ブランプトンには350個の仮眠スペースがあるが、ここまで到達した人はほぼ居ないし、先にここで仮眠した人も居ない。なのですべてのマットとブランケットが未使用(これは過去に何人使用したかわからないマットと湿気たブランケットで仮眠をした者だけが分かるネタだ…)。

コントロールに置き去りになるバッグドロップ
レストランもシャワーも快適だが、唯一問題は、バッグドロップはさらに3つ先のコントロールのダルキースか一つ手前のリッチモンドにしかないということ。着替え、シャンプー、モバイルバッテリーなど、何もない。
ちなみに福田君は手前のリッチモンドのコントロールに居て、人が溢れかえってベッドも足りず、階段で寝ているような状況だったらしい。

参加者で溢れかえるコントロール
寝床となっている体育館は、夜通し「吹っ飛ぶんじゃないか?」と思うほどに風で建物がきしみ、今までの人生で最大級の暴風だった。

床で仮眠する大勢の参加者が溢れていた
■そして自走で帰ることに
朝になるとまだ時折雨は降っているが、イギリス特有の通り雨のような感じ。朝6時過ぎには出発も許可されたようで、7時過ぎに走り始める。

嵐は去ってすっかり天気が回復した

まだ動けないので日光浴する参加者
大会中止になったのだが、どうも一部の参加者はコースをフォローしているようで、折り返して走っていると稀にだが前から参加者が走ってくる。そういう人たちを見ると、やめたといっても少し折り返していることに罪悪感すら感じる。命がけで越えたヤドモスも、今日は風はキツいが立っていられる。

応援してくれたボランティアの笑顔に救われた
リッチモンドでバッグドロップを受け取ろうとしたら、すべてのバッグをスタート地点に返送した直後とのこと...。あと480kmほど着替えもなく走れなければならないし、モバイルバッテリーもあまり残量はない。
ヘッスルまで戻ると福田君とも合流できた。初めての海外ブルべが嵐で中止というのは酷だが、本人はそれなりに楽しんでいるようだ。
残り2日を他の日本人参加者たちとも楽しく走り、当初の予定通り7日の昼頃にフィニッシュ地点へ。フィニッシュしたわけではないので、何と言うのが適切なのかわからないが、ひとまずこれで走行は終了だ。
■諦めきれない「ユアロップ・チャレンジ・ランドネ」の達成へ

コントロールでは到着証明のスタンプを押して貰う
中止になってからもコントロールでは到着時間のアップロードとブルべカードへのスタンプは続いていたが、フィニッシュのライトルでは完走メダルが配られていた。

各コントロールでスタンプを押してもらう
主催者も約2,000枚の完走メダルを破棄するのが大変というのが本音だとは思いつつも、すべての参加者へ完走メダルを配っていたのが何とも粋な計らいではないか、と思った。

リッチモンドまで行ったことを示す日本人参加者たち
ここで4年前にLEL3回目の完走を決め、2年前のパリ~ブレスト~パリ(以下PBP)から続く「ユアロップ・チャレンジ・ランドネ」(PBPからミッレ、LEL、そしてこの開催国以外のヨーロッパの1200km以上のブルべ完走)を狙っていたので、再びゼロからのチャレンジとなるのは正直なところ気持ちが重い。

スタート地点へ戻されたバッグドロップ 
にぎやかなインドチーム
円安の影響で今回の遠征は余裕のあるものではなかったし、これからさらに歳を重ねて老化と戦うことを考えると、今までのように気軽に海外で走ろうと思ったり、実際走ることが出来なくなるかもしれない。大会さえ中止にならなければ、嵐でも何でも突き抜ける覚悟だったので、何ともやるせない気持ちだ。

フィニッシュ。完走ではないが完走メダルとともに
しかし、これからも自分のチャレンジ精神を刺激してくれるようなイベントはどんどんやってくる。結局はどうやってでもチャレンジしているような気もする。今回は中止になってしまったが、それでも腐らず、諦めずに走って戻ってきたことは、ポジティブに捉えている。
さぁ、次回のLELまで4年のカウントダウン。今から気持ちを盛り上げて、100円貯金でもしていこうと思います(笑)。
text&photo:三船雅彦 photo:London-Edinburgh-London Facebook groupe

前回の2022年大会(レポート記事)に続き、今回で3回の出場となるイギリスのブルべ「ロンドン〜エディンバラ〜ロンドン」(以下LEL)に参加してきました。

過去2回出場した時はロンドンの北側の郊外をスタートする感じでしたが、今回はロンドン北東の小さな街ライトルがスタート。
大会は8月3日から。過去2回は4日ほど前にはイギリスに入り、時差ボケ対策をしましたが、今回は1日の夕方に現地入り。つまりスタート1日半前と言う強行スケジュール。ここまでの飛行機も南回りでトランジット12時間待ち。航空チケットも高騰し、予算的には厳しい・・・。次に生まれ変わるならば貴族の家に生まれたい...。ああ、いまからでも貴族のもとへ養子にいきたい...。


今回、私の関東サポータークラブのメンバーである福田君が参加することになり、ホテルの部屋をシェアすることに。今回の遠征では福田君がホテルの手配や空港からホテルへのアクセスなど、すごく助けてくれた。彼は「海外ブルべは初参加」とのことだったが、絶対イギリスに住んでいただろ!というぐらい詳しく、僕は今まで何度も海外ブルべに参加し、長年ヨーロッパで暮らしていたのに、彼の方が知識多いやん!ってレベル。福田君は本当は貴族か、もしかしたら王族かもしれない…と思うほどに頼りになり、助かりました。
前日にはスタート地点で受付と途中のコントロールポイントへ前もって荷物を預けるバッグドロップの荷物を預ける。日本では「ドロップバッグ」と言うが、海外では「バッグドロップ」と言わないと通用しない(笑)。


最大2カ所でのバッグドロップが可能で、主催者から専用の袋が渡される。私は今回折り返しとなるダルケース(800km地点)と467km/1066kmとなるリッチモンドの2カ所へ。作戦としてはダルキースまでは基本ノンストップで走行し、そこでシャワーをして着替えて仮眠。そしてここでモバイルバッテリーの入れ替え、ライトや変速機のバッテリー交換予定で、予備のバッテリーを入れておいた。後半は確実にスピードは低下すること、そして念のためフィニッシュまで使えるようモバイルバッテリーをバッグドロップに。
今回大会主催者からコントロールでの充電は禁止のお達し。どうやら前回大会で充電による出火騒ぎがあったらしい。確かにコンセントごとにおぞましいほどのGPSや携帯電話が繋がれていて、もうビジュアル的にも危険だった覚えがある...。
そのため今回、主催者がレンタルバッテリーを提供してくれた。これはコントロールごとに減ったバッテリーを交換してくれるので、申し込みが殺到した。しかし確実に充電したものがもらえるのかはサービス初年度でわからなかったので、今回は自身で用意した。
使用したのはエレコムのNESTOUTアウトドアバッテリーだ。耐衝撃で防水、端子の部分に蓋がついており、水中に落としても問題ない。今回はスタート時に10000mAhを2個携行した。加えてバッグドロップではダルケースに1個、そしてリッチモンドに1個という配置だ。
キャットアイVOLT800NEOのライトを2灯に、予備バッテリーを1個携行し、モバイルバッテリーにもなるバッテリー充電クレドールを持参。これは後に非常に大きな意味をもつこととなった。現在のブルべでは、何よりもスマホやGPS、そしてライトの電池が重要。昔はただ走るだけだったのに、まるで現代と石器時代の違いのようだ。

スタート時間は朝10時。ゼッケンの頭にアルファベットがあるが、朝4時から順番にウェーブスタートで出ていくのだが、私は「Y」。前回はYよりさらに後ろ、ZのあとはAA、AB、AC、となったが、ADでスタートすることに。
折り返してしばらくするとAかBのみとなり、間のカテゴリーはすべて突き抜けた。コントロールでの食事などを考えると、さっさと突き抜けてしまったほうが後で楽だ。参加者は約2,000人。300kmを越えるぐらいまではコントロールは混雑しているはずだ。

スタート当日は昨日と変わらない朝食を摂る。可能であれば何もスタイルを変えずに朝食、着替えてスタート、というのが理想だ。
10時、快晴の空のもとスタート。みんな最初のコントロールまでは協力して目指していくのでアベレージスピードは速め。平均時速25キロを超えるペースで最初のコントロールへ。ここで福田君とはぐれる。
このコントロールの直前に道路工事区間があり、先頭付近にいた福田君たちはそのまま直進。後方にいたメンバーは、もしかすると自転車も通行止めかもしれないし、迂回路の看板を見つけたので、そちらをフォローしたほうが良さそうだ、となった。ここで5分ほどの差が出来たようだ。

彼の方が先に到着したのだが、チェックを受けた後、走り始めずに食事をしていたらしい。僕はコントロールのレストランが渋滞していたのでバナナとパンだけ受け取ってそのままスタートした。ここですれ違ったようだ。
ここからは単独もしくは他の参加者と一緒に走行を開始した。まず初日はモルトン(373km)まで行きたい。前回出場したときもモルトンで、スタートが3時間遅くてほぼ同じペースだったので睡魔との戦いだったが、今回はトラブルがなければいけるはずだ。

2つめのコントロールはボストン。17時02分到着。軽く食事をして先に進む。3つ目のコントロールのルースは混雑すると判断、19時48分に到着。4つめのヘッスルに何時に到着するかでモルトンまで気持ちよく進めるか、はたまた睡魔で苦しむのかが分かる。

ルースからヘッスルまでに日は沈んでいく。ヘッスルの直前にハンバーブリッジがあるが、今回含めて往路では一度も明るい時間に到達したことがない。今回は「もしや?」と期待したが、やはりダメで、ヘッスルには22時14分到着。前回は日を跨いで0時半だったので気持ち的に楽だ。

ちなみに前回モルトンまで70km弱を3時間半だった。後半の20kmは睡魔でまっすぐ走るのにも苦しんでいたが、今回はヘッスルで夕食をして頭をリフレッシュしてから走り、2時には到着。ヘッスルを出発したのが23時は過ぎていたと思うので、3時間かからずに到着した。

ここでも夜食?をいただき、テーブルに突っ伏して休憩。もし寝落ちすればそれでも良し、しなければ先へ進むという感じ。まだ本当に眠くはない。

そしてスタートしてからは比較的平坦と言えるパートの最後のコントロールであるリッチモンドに到着したのは朝8時。楽しみにしていた朝食タイムだ。
朝の5時頃から10時ごろまでレストランは朝食メニューとなる。はっきり言うとレストランの食事は美味しいというレベルになく、すでに前半で食べるという行為に疲れてくるのだが、朝食メニューは比較的まだ美味しい。
ハッシュポテトやベーコン、オムレツやスクランブルエッグなどの卵、クロワッサンやデニッシュなども選べる。可能であればコントロールの食事はずっと朝食メニューでもいいぐらいだ。

■大型台風フローリスの襲来


リッチモンドでは長居をしないように心がけた。ちょうどイギリスに到着した時のタイミングで嵐が発生したそう。「フローリス」という名がついた超大型の嵐で、日本で言うところの台風だ。この2日目から3日目にかけて、どうもルート上を通過するらしい。

リッチモンドまでは嵐と言われてもピンと来なかったが、北上してこの先にある登り「ヤド・モス」が近づき始めると、今まで嵐なんて嘘でしょ?と思っていたが、ここまでとは別世界。急に風が強まり、向かい風では時速20キロがほど遠いスピードへと低下していく。

次のブランプトンのコントロールへは110kmほど。今大会の区間最長距離だ。登りがあっての最長距離ということは、時間軸で見ると一番手こずる区間であることは間違いない。
ヤドモスの登りは10㎞ほど。それほど勾配はないのだが、風は吹き下ろしで3%ほどの勾配でもスピードは一桁。とにかく漕がないと前には進まない。ゆっくりでも進むことを選択した。

この辺りの地形は風や水の浸食で出来たからか、場所によっては風が加速するように吹き抜ける。天気予報では瞬間最大風速100キロほど(ヨーロッパでは時速がポピュラー)。そんな強風をまともに食らったら飛んでいきそうだが、まさにヤドモスの登りはオープンエリアで飛んでいきそうだ。

「これは絶対乗車したほうが安全なやつ!」と判断し、乗車でクリア。時折爆風というか風の塊のようなものが飛んできて、身体ごと吹っ飛びそうになる。
下りはもっと悲惨で、2回ほど谷底に落ちかけた。今回ホイールはカンパニョーロ・ボーラの33mmハイトだったが、50mmだったら落ちていたかもしれない。
下り切ると、ハンドルを強く握っていたからか手のひらが真っ青。下り切った町の外れにあるポップアップカフェで休息することに。

■告げられたストップ。「大会はここで中止」
今回はコントロール以外での飲食は基本有料だが、大会に協力をしてくれているポップアップカフェが何カ所か設置されていた。学校施設でボランティアの人たちが飲食物を提供してくれているところもあれば、明らかにカフェだが大会公式として協力をしてくれているカフェも。
今回利用したのは農家をリフォームしたような、多分常設のカフェで、他のお客さんも入っていた。日本のイメージで言うと「古民家カフェ」だろうか。
風で身体が冷えたので、ここでカプチーノとエッグタルトをオーダー。ここまで来た選ばれしランドヌールたちは、なぜか皆カプチーノを注文していたのは、やはり寒かったのだろう。少し長居をして気持ちをリセットした。

そしてブランプトンへは15時半に到着したが、ここからの70km、また爆風で苦しむことを考えるとしっかり食べたほうがいいかも、と遅い昼食(早い夕食)?を摂ることに。
そして走り出そうとすると「本部から連絡があり、ここで待機をするように」と告げられた。どうやらこの先は暴風域とのこと。

そして19時頃、参加者は全員レストランに集められ、「大会はここで中止」と告げられる。
スタッフの、言葉を選んで少しブリティッシュなスパイスの効いたニュアンスでのアナウンスが…まったく意味が分からず、喋っていた人に「英語がわからないから完全に説明してくれ」と言ったら、「要は中止だ」とのことだった。

そして朝まで暴風域に突入するので(いや、とっくに入っていると思うが)朝までは屋外に出ないように、とのお達し。

ブランプトンには350個の仮眠スペースがあるが、ここまで到達した人はほぼ居ないし、先にここで仮眠した人も居ない。なのですべてのマットとブランケットが未使用(これは過去に何人使用したかわからないマットと湿気たブランケットで仮眠をした者だけが分かるネタだ…)。

レストランもシャワーも快適だが、唯一問題は、バッグドロップはさらに3つ先のコントロールのダルキースか一つ手前のリッチモンドにしかないということ。着替え、シャンプー、モバイルバッテリーなど、何もない。
ちなみに福田君は手前のリッチモンドのコントロールに居て、人が溢れかえってベッドも足りず、階段で寝ているような状況だったらしい。

寝床となっている体育館は、夜通し「吹っ飛ぶんじゃないか?」と思うほどに風で建物がきしみ、今までの人生で最大級の暴風だった。

■そして自走で帰ることに
朝になるとまだ時折雨は降っているが、イギリス特有の通り雨のような感じ。朝6時過ぎには出発も許可されたようで、7時過ぎに走り始める。


大会中止になったのだが、どうも一部の参加者はコースをフォローしているようで、折り返して走っていると稀にだが前から参加者が走ってくる。そういう人たちを見ると、やめたといっても少し折り返していることに罪悪感すら感じる。命がけで越えたヤドモスも、今日は風はキツいが立っていられる。

リッチモンドでバッグドロップを受け取ろうとしたら、すべてのバッグをスタート地点に返送した直後とのこと...。あと480kmほど着替えもなく走れなければならないし、モバイルバッテリーもあまり残量はない。
ヘッスルまで戻ると福田君とも合流できた。初めての海外ブルべが嵐で中止というのは酷だが、本人はそれなりに楽しんでいるようだ。
残り2日を他の日本人参加者たちとも楽しく走り、当初の予定通り7日の昼頃にフィニッシュ地点へ。フィニッシュしたわけではないので、何と言うのが適切なのかわからないが、ひとまずこれで走行は終了だ。
■諦めきれない「ユアロップ・チャレンジ・ランドネ」の達成へ

中止になってからもコントロールでは到着時間のアップロードとブルべカードへのスタンプは続いていたが、フィニッシュのライトルでは完走メダルが配られていた。

主催者も約2,000枚の完走メダルを破棄するのが大変というのが本音だとは思いつつも、すべての参加者へ完走メダルを配っていたのが何とも粋な計らいではないか、と思った。

ここで4年前にLEL3回目の完走を決め、2年前のパリ~ブレスト~パリ(以下PBP)から続く「ユアロップ・チャレンジ・ランドネ」(PBPからミッレ、LEL、そしてこの開催国以外のヨーロッパの1200km以上のブルべ完走)を狙っていたので、再びゼロからのチャレンジとなるのは正直なところ気持ちが重い。


円安の影響で今回の遠征は余裕のあるものではなかったし、これからさらに歳を重ねて老化と戦うことを考えると、今までのように気軽に海外で走ろうと思ったり、実際走ることが出来なくなるかもしれない。大会さえ中止にならなければ、嵐でも何でも突き抜ける覚悟だったので、何ともやるせない気持ちだ。

しかし、これからも自分のチャレンジ精神を刺激してくれるようなイベントはどんどんやってくる。結局はどうやってでもチャレンジしているような気もする。今回は中止になってしまったが、それでも腐らず、諦めずに走って戻ってきたことは、ポジティブに捉えている。
さぁ、次回のLELまで4年のカウントダウン。今から気持ちを盛り上げて、100円貯金でもしていこうと思います(笑)。
text&photo:三船雅彦 photo:London-Edinburgh-London Facebook groupe
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