ホビーレーサー最高の舞台、おきなわ市民200kmで優勝した大前翔(Roppongi Express)による自筆レポート。高岡亮寛と接点を持ったのが2年前。当時医学部の学生だった大前が、大学の先輩である高岡のコーチ兼チームメイトとして走ることに。そして物語は時の流れとともに、必然とも言える展開へ。
あの日、焼鳥屋で
2023年11月下旬のある日、都内の焼鳥屋で、とある人を待っていた。
「もう一度、おきなわで勝ちたいんだ」
異例の冷雨のなか行われた2023年のツール・ド・おきなわ市民200km。学校坂で失速して18位に沈んだその人、高岡さんは僕にそう語ると、オフシーズンにはそぐわないうつろな表情でビールを流し込んだ。

2023年おきなわ。冷たい雨に打たれた高岡亮寛は60kmを残した学校坂で遅れた photo:Makoto AYANO
高岡さんは僕にとって慶應大学自転車部の大先輩であり、2000年当時、無名であった弊部の名をインカレ優勝という形で全国に轟かせたレジェンドである。
そんな高岡さんとの会合の要旨は、
・もう一度おきなわで勝つために、大前のコーチ経験を活かしてトレーニングメニューを作ってほしい
・Roppongi Expressに入って、一緒にツール・ド・おきなわや実業団レースを走らないか
という2点だった。
突然の依頼と誘いに驚いたが、高岡さんの真剣な表情に、どちらもイエスと答えるまでそう時間はかからなかった。

大前翔 医師国家試験当日の朝に photo:Makoto AYANO
こうして偉大なるボス、高岡さんのチームメイト兼コーチとして2024シーズンを迎えることになるわけだが、僕は当時医学部の6年生。臨床実習や国家試験の勉強と並行して競技に取り組むのは容易ではなく、いくつかのレースで優勝こそしたものの、おきなわは時間の都合で出場すら叶わなかった。
一方の高岡さんも、グランフォンド世界選手権で日本人初のアルカンシェルを獲得するなど、成績面では大きなインパクトを残すシーズンだったが、トレーニングでは疲労のマネジメントやコンディショニングに苦戦し、コーチングは100%成功とは言えなかった。
さらにおきなわが豪雨災害で中止となり、この物語の答え合わせが2025年に持ち越されたことは、みなさん知っての通りである。
決戦前夜

朝練おわりに撮影した愛車 スペシャライズドTARMAC SL8
僕の2025シーズンは実りある形で進んだ。4月に就職し、しばらくはトレーニングのリズムを掴むのに苦戦したが、朝の冷え込みがだんだんと和らぐにつれ、早朝のインターバルであってもしっかり追い込めるようになっていった。

実業団E1カテゴリーで6勝を挙げた大前翔(Roppongi Express)南魚沼ロードレースにて photo:Satoru Kato
実業団最高カテゴリのE1では6勝し、シリーズリーダージャージを獲得。ニセコクラシックは2位。職場からの絶大な応援とサポートを受け、オーストラリアでのグランフォンド世界選手権への参加も実現した。

2025グランフォンド世界選手権 オーストラリア・ジーロングにて
一貫して調子は良かったが、おきなわで勝てる自信はあまりなかった。「ホビーレーサーの甲子園」と謳われる通り、ライバルたちがここに賭けてくる熱量は他のレースとは別格だからだ。
特に、前回覇者である井上亮先生は、高岡さんをして「純粋なフィジカルで彼に勝るアマチュアレーサーはいない」と言わしめる実力者。ほかに田中裕士さんなどの強豪ヒルクライマーの存在も不気味だった。
一方初出場の僕は、コースプロフィールや暑さ、200kmという他に類を見ないレース距離に対してノウハウがなく、これまでの選手経験を総動員してできる対策をするしかなかった。
10月に入ってから、週末に6時間のエンデュランスを行い、最後の1時間に激しいインターバルを詰め込みスタミナアップを狙った。冬ウエアを着てローラーに乗って暑熱順化を図り、サウナにも通った。

レース前日、コース試走へ
レース前日の土曜日は早朝からレンタカーを走らせコースを全て試走。勝負がかかるであろう登りは車を停めて自転車で実際に走りイメージを膨らませた。
決戦の日

名護市街を走り出す市民200の集団。濡れた路面が朝陽に輝く photo:Makoto AYANO
7時25分、明け方の雨が濡らした路面を朝日が照らし、幻想的な煌めきの中でレースが始まった。
200kmの長丁場、前半はノートラブルで脚を温存することだけを考えた。

石井雄悟(MASXSAURUS)や古谷朋一(内房レーシングクラブ)も積極的だ photo:Makoto AYANO
スタートしてすぐに20番手前後まで位置を上げ、伸び縮みする集団でなるべく一定ペースを保つよう心がける。高岡さんと木村さんも同じような位置。

スタート直後からレースを活性化させる高岡亮寛(Roppongi Express) photo:Makoto AYANO

メイン集団の先頭に上がってくる大前翔(Roppongi Express) photo:Makoto AYANO
補給もぬかりなく、77km地点の普久川ダムの補給ポイントまでにボトル1本(パラチノース40g入り)と、黒糖わらび4個(500kcal)を摂り、後半の勝負所に備えた。

国頭村の道の駅前を通過する市民200kmのメイン集団 photo:Makoto AYANO
懸念していた暑さは朝方の雨のおかげでそれほどではなく、日陰ではむしろ肌寒く感じることすらあった。
概ね作戦通りに進み、1回目の与那の坂を登りきるまで、1度もきついと感じることなくクリア。

与那の坂の入口を集団前方でクリア。すぐ後方ではスリップ落車が発生した photo:Makoto AYANO
レースはあと3時間。ここから徐々に後半を意識した動きが始まる。2回目の与那の坂と、その後に控える学校坂を前でこなしたい選手たちがしきりにアタックし、遅くないペースで辺戸岬から西海岸を南下していく。

与那の坂を上るメイン集団。勝負どころを控え、嵐の前の静けさといったところ photo:Makoto AYANO
「本当の勝負は学校坂から」というのは全選手が意識していたように思う。2回目の与那の坂に入る頃にはペースが落ち着き、来たる勝負所に備えて嵐の前の静けさといったところ。
ここまで順調に走ってきたが、2回目の与那の坂でトラブル発生。左脚の縫工筋が攣ったのだ。

2回目の与那の坂を越える大前翔。このとき脚が攣ったことに迷いが生じていた photo:Makoto AYANO
もともと攣りやすい体質で、脚攣りで優勝を逃してきたビッグレースは数知れない。それも実力のうちと対策してきて、2025シーズンはうまくマネジメントできていたから、この大一番で攣ってしまったことはショックだった。
まだレースは70kmある。しかもここからが本番。なのに脚は攣っている。
絶望的かと思われたが、過去のレースで身につけた、攣りを誤魔化しながら走るスキルをフル活用して戦うしかない。下りで回復し、勝負の学校坂へ。

学校坂で攻撃を開始した井上亮(Magellan Systems Japan) photo:Makoto AYANO
麓から井上先生が切り裂くようにアタックしていく。岩間さんが追随する。僕は脚攣りを最小限にとどめるべく、一定ペースで追うことにした。
前2人とは10秒くらいの差で、縮まらないが広がるでもない。乗鞍ヒルクライム優勝の田中裕士さんがブリッジを試みたが、届かず戻ってきた。急勾配区間が終わりドラフティングが効く区間で先頭交代を促すと、集団にはまだ回れる人が7,8人はいそうだった。

集団先頭でペースを上げる井上亮(Magellan Systems Japan) photo:Makoto AYANO
苦痛に顔を歪めている人もいたので「絶対追いつくから回そう」と言って集団を鼓舞し、頂上を超えたしばらく先で井上先生を捕らえた。

緩斜面になっても執拗にアタックを繰り返す井上亮(Magellan Systems Japan) photo:Makoto AYANO
しかしその後も東村までのアップダウンで井上先生が何度もアタックする。自分はそれに対応してダンシングで加速するたびに攣る筋肉が増え、もはや攣っていない筋肉の方が少ないんじゃないかという状態になる。

慶佐次の補給ポイントでペースを上げる井上亮(Magellan Systems Japan)、追走する大前翔 photo:Makoto AYANO

アタックした井上をすかさずチェックする大前翔と高岡亮寛(Roppongi Express) photo:Makoto AYANO
「ここまでか」と覚悟したが、東村までの下り基調で集団のペースが緩んだ際に回復し、慶佐次以降の勝負に参加することはできそうだ。
ゾンビのごとく井上先生の後輪にしがみつき、終盤の勝負所、有銘の2段坂へ。1段目から井上先生がペースを上げていくが、先の学校坂ほどの勢いがない。ひょっとして井上先生も脚にキているか?と微かに希望が見え、先頭に出た。

「井上先生もひょっとして脚に来ている?」かすかな希望をもって先頭に出てみる photo:Makoto AYANO

高岡亮寛(Roppongi Express)も積極的にペースを作り集団を絞り込む photo:Makoto AYANO
ここから攻勢に転じようかと思い倦ねていたら、今度は高岡さんがアタック。
危うくチームメイトに千切られるところだったが、ここもチェックに入った井上先生にへばりついてクリアした。これで集団は10人に絞られた。

羽地へと向かう先頭集団10人。間違いなく勝者はこの中から生まれる photo:Makoto AYANO
最終決戦の羽地へ向かう10人(写真の先頭から)
岩間来空(Team Aniki)
井上亮(Magellan Systems Japan)
池谷隆太(PARK)
高岡亮寛(Roppongi Express)
畝原尚太郎(チームGINRIN熊本)
大前翔(Roppongi Express)
古谷朋一(内房レーシング)
中司大輔(堀場製作所自転車倶楽部)
布田直也(Minerva-ASAHI)
石井雄悟(MASXSAURUS)

羽地の登り始めは誰もアタックを掛けず、不気味なほどに静かだった photo:Makoto AYANO
有銘でアタックを繰り出した高岡さんの調子は良さそうだ。高岡さんの強さの真髄はその驚異的なスタミナであり、普段のトレーニングでも200km走った後に登り1本勝負をやったら、勝つ自信はあまりない。

羽地の登りでは先頭固定で井上亮(Magellan Systems Japan)がハイペースを刻む photo:Makoto AYANO
その高岡さんに、ローテで並んだ時に「このまま最後まで逃さなければ勝てるぞ」と言われた。つまり「勝てよ」という意味だ。
本当は満身創痍だけど、近くに井上先生もいたので
「ちょっと脚が攣ってるけど、勝てます!」
と井上先生に聞こえるように返答しておいた。極限の戦いにおいては気持ちで勝った人が勝つと信じて。

咆哮とともにペースを上げる井上亮(Magellan Systems Japan) photo:Makoto AYANO
最後の登り、羽地へ。全員が井上先生のアタックを警戒しており、前に出る人はいない。井上先生を先頭に、麓から静かに登っていく。本州では聞き慣れない種類の蝉の鳴き声だけが響いていた。
番越トンネルを抜け、ついに井上先生が腰を上げた。1mmも車間を開けまいとすかさずフォローする。
「うおー!うおー!」と聞こえる。井上先生が咆哮を放っているらしい。
井上先生はここで僕を千切るしか、勝ち筋はない。
それを分かって、井上先生にプレッシャーをかけるべく「頑張れー」と言ってみた。心拍数は200を超えていたが、澄ました声で。
しかしこれは失敗どころか、悪い結果を生んだ。井上先生の闘志に火をつけてしまい、さらに一段階ペースを上げられた。

明らかに僕の限界を超えたペースで突き進む井上先生。まだ喰らいつく photo:Makoto AYANO
明らかに僕の限界を超えたペースで突き進む井上先生。
垂れてくれることを願うが、想いは届かず。徐々にブルーの背中が遠ざかり、肉体と精神、両方の闘いにおいて、僕は井上先生に敗れた。

井上先生から離されていく。ここで「僕のおきなわは終わった」と思った photo:Makoto AYANO
ペースダウンしたらアドレナリンが切れ、全身に激痛が襲ってきた。脚が千切れそうだ。
弱気になり、うなだれる。この先に待ち受けるであろう、帰りの飛行機での虚無感などが頭をよぎった。
力なく東江原トンネルに入ると、ポンと背中を叩かれ、「一緒に行こう。追いつける」とホワイトブルーのジャージに抜かれた。
石井雄悟くんだ。

諦めずに追い上げた石井雄悟(MASXSAURUS)。しかし最終局面までに脚が攣っていたという photo:Makoto AYANO
石井くんは、ニセコクラシックのスプリントで優勝を目前にしたラスト5mで差し込まれた「宿敵」である。彼はまだこのレースを捨てていなかった。
痛みに耐え、残る力を振り絞って後輪に張り付いた。僕がペースダウンしたことで開いた前2人との差は、石井くんのペースでは均衡を保っているようだった。そこで初めて前2人のペースも落ちていることを認識した。
まだレースは終わっていない。
一度燃えカスになったマッチに再び火がついた。先ほどの激痛はもう感じなくなっていた。懸命にローテーションを回し、アップダウン区間を抜けて下りに入ってまもなく、井上先生と畝原さんに追いついた!
相変わらず脚は攣っているが、キツいのは僕だけではない。全員が限界をとうに超えているはず。僕は元来スプリンターだから、最後の直線スプリントでは僕が圧倒的に有利だ。
逆に、スプリントに自信がない選手はゴールまで距離を残して先行するしかない。その動きに目を光らせ、絶対にゴールまで一塊で辿り着くよう仕向ける。
ところが、ラスト2kmの大通りへ向けて右折するコーナーの手前で、僕が着ているのと同じ赤いジャージが弾丸のように飛んでいくのが見えた。
キツすぎて幽体離脱した自分を見ているのかと思ったが、よく見ると高岡さんだった。前4人が牽制している間に、下りをかっ飛ばして追いついてきたらしい。
ただでさえ有利であった状況下、さらに勝率が跳ね上がった。このまま4人が牽制すれば高岡さんが逃げ切り勝ち。誰かが追ったとしても、その後ろに僕がついて脚を休ませればスプリントでは僕が勝つ。
高岡さんが逃げ切って、その後ろのスプリントを僕がとってワンツー、という快挙を夢想した。初出場の僕が勝つよりも、高岡さんの2023年の失速からの復活劇の方が美しいと思った。
高岡さんに勝って欲しかった。
しかし現実はそうはならず、飛んでいく赤い弾丸を見て、即座に畝原さんが追走を開始。500mかけて追いつき、ここで高岡さんはペダルを止めてしまった。
羽地の手前で言った「僕が勝てます」は虚勢であったが、今度は本心から叫んだ。
「僕が勝ちます!」

スプリントへ。フィニッシュラインを過ぎるまで全力でペダルを踏み抜くことだけに集中した photo:Makoto AYANO
畝原さんに代わって井上先生がアタック。即座に反応して残り距離は500mを切った。僕の後ろには宿敵 石井くんが控えている。
下りで前2人に追いついて以降、僕は脚を使わなかったが、石井くんもそれは同じだった。脚の貯め具合は互角だ。
ニセコではロングスプリントで敗れているから、今回は待てる限り待つことにした。
300…250…200…。
150mの看板を前に全身全霊のスプリントを開始した。石井くんもほぼ同じタイミングだったようだ。

市民レース200kmを制した大前翔(Roppongi Express) photo:Makoto AYANO
ニセコの時と違い、後ろは見なかった。ゴールラインを過ぎるまで、全力でペダルを踏み抜くことだけに集中した。
勝ったらしい。
実は下りで追いついてから、ガッツポーズをいくつか考えていたのだが、実際に先頭でゴールを抜けてみると、何もできなかった。

フィニッシュラインをトップで越えたが、何もできなかった photo:Makoto AYANO
それほどに力を出し尽くしていたこともあるが、それ以上に、羽地で井上先生に一度負けたこと、石井くんとの雪辱を果たしたこと、高岡さんとの焼鳥屋での約束を僕が代わりに果たすことになったことなど、自分の勝利を単に喜ぶだけではない様々な感情が駆け巡っていた。
高岡さんはRXチームの勝利を喜びながら8位でゴールラインを切った。これが「8度目の優勝の独走ゴールシーン」と言われても疑わないほど、今年も高岡さんは強かった。

チームメイトの大前翔の勝利を知って喜ぶ高岡亮寛(Roppongi Express)が8位でフィニッシュ photo:Makoto AYANO
後輩へのバトン

市民200km表彰 優勝大前翔(Roppongi Express)、2位石井雄悟(MASXSAURUS)、3位畝原尚太郎(チームGINRIN熊本) photo:Makoto AYANO
「完璧なアシストで大前に勝利を託し、高岡さんの伝説は後輩へとつながれた」と書くと美談だが、これにはちょっと語弊がある。
高岡さんは主役の星のもとに生まれた人である。事実、僕の優勝に「高岡の完璧なアシストで」という枕詞をつけ、僕がとるべき主役の座を掻っさらっていった(笑)。
僕が来年、もうひと回り強くならなければ、高岡さんは僕に一度渡したバトンをむしり取っていくに違いない。
あの日の焼鳥屋から始まった物語は、2025年、ひとつのフィナーレを迎えた。しかしこれは一話完結の物語ではない。選手それぞれの想いを胸に、2026年へと続いていく。

レース後にRoppongi Expressチームメイトたちと
text : 大前翔
photo:綾野 真
あの日、焼鳥屋で
2023年11月下旬のある日、都内の焼鳥屋で、とある人を待っていた。
「もう一度、おきなわで勝ちたいんだ」
異例の冷雨のなか行われた2023年のツール・ド・おきなわ市民200km。学校坂で失速して18位に沈んだその人、高岡さんは僕にそう語ると、オフシーズンにはそぐわないうつろな表情でビールを流し込んだ。

高岡さんは僕にとって慶應大学自転車部の大先輩であり、2000年当時、無名であった弊部の名をインカレ優勝という形で全国に轟かせたレジェンドである。
そんな高岡さんとの会合の要旨は、
・もう一度おきなわで勝つために、大前のコーチ経験を活かしてトレーニングメニューを作ってほしい
・Roppongi Expressに入って、一緒にツール・ド・おきなわや実業団レースを走らないか
という2点だった。
突然の依頼と誘いに驚いたが、高岡さんの真剣な表情に、どちらもイエスと答えるまでそう時間はかからなかった。

こうして偉大なるボス、高岡さんのチームメイト兼コーチとして2024シーズンを迎えることになるわけだが、僕は当時医学部の6年生。臨床実習や国家試験の勉強と並行して競技に取り組むのは容易ではなく、いくつかのレースで優勝こそしたものの、おきなわは時間の都合で出場すら叶わなかった。
一方の高岡さんも、グランフォンド世界選手権で日本人初のアルカンシェルを獲得するなど、成績面では大きなインパクトを残すシーズンだったが、トレーニングでは疲労のマネジメントやコンディショニングに苦戦し、コーチングは100%成功とは言えなかった。
さらにおきなわが豪雨災害で中止となり、この物語の答え合わせが2025年に持ち越されたことは、みなさん知っての通りである。
決戦前夜

僕の2025シーズンは実りある形で進んだ。4月に就職し、しばらくはトレーニングのリズムを掴むのに苦戦したが、朝の冷え込みがだんだんと和らぐにつれ、早朝のインターバルであってもしっかり追い込めるようになっていった。

実業団最高カテゴリのE1では6勝し、シリーズリーダージャージを獲得。ニセコクラシックは2位。職場からの絶大な応援とサポートを受け、オーストラリアでのグランフォンド世界選手権への参加も実現した。

一貫して調子は良かったが、おきなわで勝てる自信はあまりなかった。「ホビーレーサーの甲子園」と謳われる通り、ライバルたちがここに賭けてくる熱量は他のレースとは別格だからだ。
特に、前回覇者である井上亮先生は、高岡さんをして「純粋なフィジカルで彼に勝るアマチュアレーサーはいない」と言わしめる実力者。ほかに田中裕士さんなどの強豪ヒルクライマーの存在も不気味だった。
一方初出場の僕は、コースプロフィールや暑さ、200kmという他に類を見ないレース距離に対してノウハウがなく、これまでの選手経験を総動員してできる対策をするしかなかった。
10月に入ってから、週末に6時間のエンデュランスを行い、最後の1時間に激しいインターバルを詰め込みスタミナアップを狙った。冬ウエアを着てローラーに乗って暑熱順化を図り、サウナにも通った。

レース前日の土曜日は早朝からレンタカーを走らせコースを全て試走。勝負がかかるであろう登りは車を停めて自転車で実際に走りイメージを膨らませた。
決戦の日

7時25分、明け方の雨が濡らした路面を朝日が照らし、幻想的な煌めきの中でレースが始まった。
200kmの長丁場、前半はノートラブルで脚を温存することだけを考えた。

スタートしてすぐに20番手前後まで位置を上げ、伸び縮みする集団でなるべく一定ペースを保つよう心がける。高岡さんと木村さんも同じような位置。


補給もぬかりなく、77km地点の普久川ダムの補給ポイントまでにボトル1本(パラチノース40g入り)と、黒糖わらび4個(500kcal)を摂り、後半の勝負所に備えた。

懸念していた暑さは朝方の雨のおかげでそれほどではなく、日陰ではむしろ肌寒く感じることすらあった。
概ね作戦通りに進み、1回目の与那の坂を登りきるまで、1度もきついと感じることなくクリア。

レースはあと3時間。ここから徐々に後半を意識した動きが始まる。2回目の与那の坂と、その後に控える学校坂を前でこなしたい選手たちがしきりにアタックし、遅くないペースで辺戸岬から西海岸を南下していく。

「本当の勝負は学校坂から」というのは全選手が意識していたように思う。2回目の与那の坂に入る頃にはペースが落ち着き、来たる勝負所に備えて嵐の前の静けさといったところ。
ここまで順調に走ってきたが、2回目の与那の坂でトラブル発生。左脚の縫工筋が攣ったのだ。

もともと攣りやすい体質で、脚攣りで優勝を逃してきたビッグレースは数知れない。それも実力のうちと対策してきて、2025シーズンはうまくマネジメントできていたから、この大一番で攣ってしまったことはショックだった。
まだレースは70kmある。しかもここからが本番。なのに脚は攣っている。
絶望的かと思われたが、過去のレースで身につけた、攣りを誤魔化しながら走るスキルをフル活用して戦うしかない。下りで回復し、勝負の学校坂へ。

麓から井上先生が切り裂くようにアタックしていく。岩間さんが追随する。僕は脚攣りを最小限にとどめるべく、一定ペースで追うことにした。
前2人とは10秒くらいの差で、縮まらないが広がるでもない。乗鞍ヒルクライム優勝の田中裕士さんがブリッジを試みたが、届かず戻ってきた。急勾配区間が終わりドラフティングが効く区間で先頭交代を促すと、集団にはまだ回れる人が7,8人はいそうだった。

苦痛に顔を歪めている人もいたので「絶対追いつくから回そう」と言って集団を鼓舞し、頂上を超えたしばらく先で井上先生を捕らえた。

しかしその後も東村までのアップダウンで井上先生が何度もアタックする。自分はそれに対応してダンシングで加速するたびに攣る筋肉が増え、もはや攣っていない筋肉の方が少ないんじゃないかという状態になる。


「ここまでか」と覚悟したが、東村までの下り基調で集団のペースが緩んだ際に回復し、慶佐次以降の勝負に参加することはできそうだ。
ゾンビのごとく井上先生の後輪にしがみつき、終盤の勝負所、有銘の2段坂へ。1段目から井上先生がペースを上げていくが、先の学校坂ほどの勢いがない。ひょっとして井上先生も脚にキているか?と微かに希望が見え、先頭に出た。


ここから攻勢に転じようかと思い倦ねていたら、今度は高岡さんがアタック。
危うくチームメイトに千切られるところだったが、ここもチェックに入った井上先生にへばりついてクリアした。これで集団は10人に絞られた。

最終決戦の羽地へ向かう10人(写真の先頭から)
岩間来空(Team Aniki)
井上亮(Magellan Systems Japan)
池谷隆太(PARK)
高岡亮寛(Roppongi Express)
畝原尚太郎(チームGINRIN熊本)
大前翔(Roppongi Express)
古谷朋一(内房レーシング)
中司大輔(堀場製作所自転車倶楽部)
布田直也(Minerva-ASAHI)
石井雄悟(MASXSAURUS)

有銘でアタックを繰り出した高岡さんの調子は良さそうだ。高岡さんの強さの真髄はその驚異的なスタミナであり、普段のトレーニングでも200km走った後に登り1本勝負をやったら、勝つ自信はあまりない。

その高岡さんに、ローテで並んだ時に「このまま最後まで逃さなければ勝てるぞ」と言われた。つまり「勝てよ」という意味だ。
本当は満身創痍だけど、近くに井上先生もいたので
「ちょっと脚が攣ってるけど、勝てます!」
と井上先生に聞こえるように返答しておいた。極限の戦いにおいては気持ちで勝った人が勝つと信じて。

最後の登り、羽地へ。全員が井上先生のアタックを警戒しており、前に出る人はいない。井上先生を先頭に、麓から静かに登っていく。本州では聞き慣れない種類の蝉の鳴き声だけが響いていた。
番越トンネルを抜け、ついに井上先生が腰を上げた。1mmも車間を開けまいとすかさずフォローする。
「うおー!うおー!」と聞こえる。井上先生が咆哮を放っているらしい。
井上先生はここで僕を千切るしか、勝ち筋はない。
それを分かって、井上先生にプレッシャーをかけるべく「頑張れー」と言ってみた。心拍数は200を超えていたが、澄ました声で。
しかしこれは失敗どころか、悪い結果を生んだ。井上先生の闘志に火をつけてしまい、さらに一段階ペースを上げられた。

明らかに僕の限界を超えたペースで突き進む井上先生。
垂れてくれることを願うが、想いは届かず。徐々にブルーの背中が遠ざかり、肉体と精神、両方の闘いにおいて、僕は井上先生に敗れた。

ペースダウンしたらアドレナリンが切れ、全身に激痛が襲ってきた。脚が千切れそうだ。
弱気になり、うなだれる。この先に待ち受けるであろう、帰りの飛行機での虚無感などが頭をよぎった。
力なく東江原トンネルに入ると、ポンと背中を叩かれ、「一緒に行こう。追いつける」とホワイトブルーのジャージに抜かれた。
石井雄悟くんだ。

石井くんは、ニセコクラシックのスプリントで優勝を目前にしたラスト5mで差し込まれた「宿敵」である。彼はまだこのレースを捨てていなかった。
痛みに耐え、残る力を振り絞って後輪に張り付いた。僕がペースダウンしたことで開いた前2人との差は、石井くんのペースでは均衡を保っているようだった。そこで初めて前2人のペースも落ちていることを認識した。
まだレースは終わっていない。
一度燃えカスになったマッチに再び火がついた。先ほどの激痛はもう感じなくなっていた。懸命にローテーションを回し、アップダウン区間を抜けて下りに入ってまもなく、井上先生と畝原さんに追いついた!
相変わらず脚は攣っているが、キツいのは僕だけではない。全員が限界をとうに超えているはず。僕は元来スプリンターだから、最後の直線スプリントでは僕が圧倒的に有利だ。
逆に、スプリントに自信がない選手はゴールまで距離を残して先行するしかない。その動きに目を光らせ、絶対にゴールまで一塊で辿り着くよう仕向ける。
ところが、ラスト2kmの大通りへ向けて右折するコーナーの手前で、僕が着ているのと同じ赤いジャージが弾丸のように飛んでいくのが見えた。
キツすぎて幽体離脱した自分を見ているのかと思ったが、よく見ると高岡さんだった。前4人が牽制している間に、下りをかっ飛ばして追いついてきたらしい。
ただでさえ有利であった状況下、さらに勝率が跳ね上がった。このまま4人が牽制すれば高岡さんが逃げ切り勝ち。誰かが追ったとしても、その後ろに僕がついて脚を休ませればスプリントでは僕が勝つ。
高岡さんが逃げ切って、その後ろのスプリントを僕がとってワンツー、という快挙を夢想した。初出場の僕が勝つよりも、高岡さんの2023年の失速からの復活劇の方が美しいと思った。
高岡さんに勝って欲しかった。
しかし現実はそうはならず、飛んでいく赤い弾丸を見て、即座に畝原さんが追走を開始。500mかけて追いつき、ここで高岡さんはペダルを止めてしまった。
羽地の手前で言った「僕が勝てます」は虚勢であったが、今度は本心から叫んだ。
「僕が勝ちます!」

畝原さんに代わって井上先生がアタック。即座に反応して残り距離は500mを切った。僕の後ろには宿敵 石井くんが控えている。
下りで前2人に追いついて以降、僕は脚を使わなかったが、石井くんもそれは同じだった。脚の貯め具合は互角だ。
ニセコではロングスプリントで敗れているから、今回は待てる限り待つことにした。
300…250…200…。
150mの看板を前に全身全霊のスプリントを開始した。石井くんもほぼ同じタイミングだったようだ。

ニセコの時と違い、後ろは見なかった。ゴールラインを過ぎるまで、全力でペダルを踏み抜くことだけに集中した。
勝ったらしい。
実は下りで追いついてから、ガッツポーズをいくつか考えていたのだが、実際に先頭でゴールを抜けてみると、何もできなかった。

それほどに力を出し尽くしていたこともあるが、それ以上に、羽地で井上先生に一度負けたこと、石井くんとの雪辱を果たしたこと、高岡さんとの焼鳥屋での約束を僕が代わりに果たすことになったことなど、自分の勝利を単に喜ぶだけではない様々な感情が駆け巡っていた。
高岡さんはRXチームの勝利を喜びながら8位でゴールラインを切った。これが「8度目の優勝の独走ゴールシーン」と言われても疑わないほど、今年も高岡さんは強かった。

後輩へのバトン

「完璧なアシストで大前に勝利を託し、高岡さんの伝説は後輩へとつながれた」と書くと美談だが、これにはちょっと語弊がある。
高岡さんは主役の星のもとに生まれた人である。事実、僕の優勝に「高岡の完璧なアシストで」という枕詞をつけ、僕がとるべき主役の座を掻っさらっていった(笑)。
僕が来年、もうひと回り強くならなければ、高岡さんは僕に一度渡したバトンをむしり取っていくに違いない。
あの日の焼鳥屋から始まった物語は、2025年、ひとつのフィナーレを迎えた。しかしこれは一話完結の物語ではない。選手それぞれの想いを胸に、2026年へと続いていく。

text : 大前翔
photo:綾野 真
Amazon.co.jp
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